田んぼ日誌

田植をした!
緑地に10年ぶり 新参加の仲間とともに

田植えをしました。3月に発足した「広町田んぼの会」に参加
し、田んぼ本体の復元に取り組んでから3か月、市民協議会の田
んぼチームとして水路を掘り始めてから1年余りのがんばりが、
やっと実りました。
わずか1.5アールの小さな田んぼとはいえ、広大な広町緑地で
田植えが行われたのは、実に10年ぶりのことです。

 はびこっていたヨシの根っこ掘りと悪戦苦闘していた間に、新
しい仲間が増えました。市報の公募に応じた20人です。その中に、
幼児を連れてくる若い夫婦や、20歳代のOLもいます。彼
らといっしょに、にぎやかな田植えになりました。

 まだ10センチ足らずの苗が、穂をつけて実るまで、渇水や台
風、そして病虫害からも、守って行かなければなりません。私た
ちにとって、未知で手探りの作業が続きます。

 泥と汗、喜びと不安にまみれる仲間たちの姿を、秋に新米のおに
ぎりを頬張るまで、この日誌に描き続けます。

 


64人(うち子ども12人)が
参加交代で植えました


       あたしも植えるんだ
               

     2011年田んぼ作業日程
    第1日曜日
第2、第3土曜日(9時〜)
           

豊田 充 鎌倉広町の森市民協議会理事
鈴木 玲子写真・レイアウト


  1.広町緑地の田んぼ日誌
・田んぼ日誌のクリックで日誌を表示します(pdf形式)
    年月    日誌 備考
2011年12月    ・12月田んぼの会活動記録pdf)   
2011年11月   ・11月田んぼの会活動記録pdf)   
2011年10月  ・10月田んぼの会活動記録pdf)   
2011年9月 ・9月田んぼの会活動記録(pdf)   
2011年8月  ・8月田んぼの会活動記録(pdf)   
2011年6月  ・6月田んぼの会活動記録(pdf)   
 
  2.田んぼへの思い

                
                                         
田んぼのイメージ

 広町緑地にはかつて、谷戸ごとに田んぼがあり、山裾に畑、里山と呼ぶ雑木林がありました。田んぼや水路でカエルが鳴き、フナやドジョウも泳いでいました。畑の周囲や里山には季節ごとに野の花が咲き乱れました。

そうした谷戸の原風景を、ミニサイズながら再現したい、と考え、市とも協議しながら、御所谷の一画でまずは田んぼの復元に取り組んでいます。まだ水路作りの段階ですが、来年6月には、田植えまでこぎつけるつもりです。

    

やがて復元した田んぼが増え、私たちがコメ作りに習熟したら、近くの学校に体験学習の場として提供したい、とも考えています。そのために汗を流している姿を、飾らずに記録したのが、この「作業日誌」です。やがて田植え御所谷の田んぼ・畑の跡と水路をする日まで、作業をするごとに書き足していきます。興味を感じられたら、ぜひ、見に来てください。参加してくださるなら、大歓迎します。

       広町緑地に田んぼを復元する趣旨について

私たちは広町緑地内に、小規模ながら田んぼを復元したいと考え、来年6月に田植えすることを目標に、準備作業に入っています。その田んぼ復元の趣旨や意味について、ご説明申しあげ、ご理解をいただきたいと思います。 

60年代の谷戸の風景と動植物相を再現

 広町緑地にはかつて、谷戸ごとに田んぼがあり、その合計は優に3町歩(ヘクタール)に達した、といわれています。田んぼに隣接する台地は畑として利用され、それに続く斜面の中腹までコナラ、クヌギ、ヤマザクラなどの落葉樹が茂り、耕作農家にとって薪炭林の役割を果たすと同時に、下草や落ち葉が、田畑に施す堆肥の原料になりました。その落葉樹林・雑木林を、「里山」と呼んでいました。

 当時の動植物がどう繁殖していたか、観察記録は残っていませんが、木洩れ日が射しこむ雑木林には、さまざまな野草が季節ごとに、競うように咲き誇っていたでしょう。

 春先から秋まで、天を弄するカエルの大合唱が、近隣に響き渡っていました。カエル以外にも、フナ、タナゴ、メダカ、各種のドジョウなど多種の水棲動物がいたでしょう。いまは希少種のホトケドジョウも、多様な動物相の1種だったことでしょう。

 こうした豊かな生態系は、戦後数年を過ぎると、少しずつ滅んで行きます。1950年代後半から農薬と化成肥料が普及して水棲動物が減り、60年代に燃料の首座が石油精製品に移るとともに、薪炭の需要が減り、里山が荒れ始めました。そして70年代以降のコメ余りで、田んぼそのものが耕作放棄されて、現状に至っています。

 私たちは田んぼの復元をきっかけとして、失われた60年代の谷戸の風景と、当時の豊かな動植物相を再現したい、と考えています。

ミニサイズだが、やがては学校田にも

 といっても、田んぼを60年代の規模で復元するわけではありません。御所谷の一画に、1年目は5アールほどを復元し、翌年以降、可能な範囲で増やしていき、並行して隣接地に畑、里山も復活するつもりです。

 増やした田んぼが10アールを超え、私たちがコメ作りにある程度、習熟したら、近隣の小中学校に「学校田」として提供し、体験学習のお役に立ちたい、と考えています。

 また、コメ作りに興味のある市民が参加し、私たちの活動の幅が広がることも、期待しています。 これらが実現したとき、御所谷にカエルの鳴き声が復活し、田んぼや水路、溜め池にフナやタナゴが泳ぎ、トンボが群れるでしょう。

数世紀来の稲作文化を次世代に

 潅漑技術の進歩とともに、畑や里山と組み合わせた稲作体系が形成されたのは、鎌倉時代中期といわれています。明治の中期以降、近代工業が発展するまで、コメ作りが日本列島の基幹産業でした。

 私たちが再現をめざす谷戸の風景は、景観として美しいだけでなく、数世紀にわたって伝承されながら、この40年間に滅んでしまった稲作文化の象徴でもある、と思います。

 私たちの世代は、かつての風景や稲作技術の一端を記憶していますが、その伝承文化を記憶の中に留めるだけでなく、次世代と田んぼで汗を流し合う作業を通して、継承する責務がある、と考えています。

 そんな理屈を並べなくても、子どもたちと田畑の収穫の喜びを共にし、同時に、子どもたちがカエルやミズスマシ、トンボと友だちになる光景を想像するだけで、心温まる気がします。

生態系の変化には配慮

 御所谷の一画に田んぼを復元すると、隣接する耕作放棄田は湿地化します。そこの植物相が変わり、いまの植物相を好む動物たちにも、影響が出ます。その意味では、いまの生態系への影響は避けられません。ただし、少し離れた田んぼ跡に、いまの植物相が出現するでしょう。

いまの生態系は、かつての生態系の一部です。かつての谷戸の風景の再現は、かつての豊かな動植物相の復活、つまり、かつての生態系の再現につながります。

 とはいえ、ホタルやアカガエル、カヤネズミの現在の生息域は限られています。復元する田んぼへの水路の復活作業を始めていますが、それらの動物たちの生息を妨げないように、ある場所では水路を迂回させ、別の場所では繁殖期の作業を避ける、といった配慮をしています。

 また、コメ作りでも、畑作でも、農薬や化成肥料は使いません。そうした配慮を怠らなければ、全体として生態系を現状より豊かにすることができる、と考えています。
                       ◇

 谷戸の風景の再現には、長期にわたり、ぼう大な作業が必要です。原則として手作業でやりますが、部分的にはエンジンつきのチェーンソー、草刈り機、小型耕運機を使わないと、間に合いません。

 それらもふくめ、ご理解いただければ幸いです。できれば、皆さまのご参加を期待しています。

               2005年6月 鎌倉広町の森市民協議会 

           田んぼ・畑作りチーム  豊田充